卓上カレンダー名入れ・ケース・オリジナル2012年版


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Calendar History

神社暦が日本に伝来した記録は、奈良時代にできた日本最古の歴史書である“日本書紀”に「欽明天皇14年(553年)に、百済から暦書がもたらされた」と記述されています。また、推古天皇12年(604年)に日本最初の暦が作られたと伝えられています。国家単位では、持統天皇4年(690年)に暦法が定められたと記述があります。

この頃の人々がカレンダーを使用したという記録は乏しいのですが、近年奈良県明日香村で“689年の暦の一部を記した木簡”が出土しました。
この木簡には、毎日の吉凶などが記されており、今日の六曜にあたるものだと思われます。また、その木簡の形状から飛鳥時代の貴族や役人が予定を書く【卓上カレンダー】として使われたものと推測され、古くより【卓上カレンダー】が活用されていたことを物語っています。
その後、中国の影響を強く受けていた日本に、中国の暦が次々と伝来します。

日本美人当時の暦は、太陰太陽暦(太陰暦・陰暦)と呼ばれるもので、明治6年(1873年)の太陽暦採用まで修正を繰り返しながら長きに渡り使われました。
太陰太陽暦の暦は、縦三段に分かれており、まず上段に幕府で計算されたカレンダー部分が記され、その内容が京都に送られ、中下段には吉凶・世俗信仰が記入されました。このように作られた暦の原稿が、各地の特定の版元に渡り出版されました。
そして、太陽暦の採用以降、明治政府は旧暦の中下段は迷信であるとして新暦に使わないように指示しました。

しかし、太陽暦への改暦は各地で出版権をめぐる紛糾を巻き起こしたため、事態を重く見た伊勢神宮が明治16年に出版権を統括しました。
それからしばらくは、商人や一般の人々が正月初詣の手みやげとして、当時の“伊勢ごよみ”と呼ばれるものを持ち帰り使いました。
マルチ卓上カレンダーの出版が自由になったのは、第二次世界大戦終了後の昭和20年からで、昔の吉凶表現なども復活し、デザイン・用途なども様々なものが出版されるようになりました。
このような歴史を経て、今日では国民一人当たり約3個のカレンダーが出版されるほど、生活必需品として人々に使われるようになったのです。

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